水行陸行アンデス越え、待っていたのはセントージャ!?

 

         1966年入社 市場正紀

 

アンデス山脈を越えるのに登山靴も防寒着も不要というので、ブラジル駐在時の年末年始の夏休み

に、アルゼンチン側からチリ側へアンデスを越えるツアーに家族で参加した。

まずアルゼンチンの首都、ブエノス・アイレスの観光と夜のタンゴを鑑賞後、空路アルゼンチンの保

養地、バリロッチ(Bariloche)へ。 バリロッチは、冬はスキー、夏は避暑、湖水浴やキ

ャンプを楽しむ人々が集まる町。ただし夏でも湖水の温度は水浴には低すぎると感じた。

 

バリロッチからは、2つの湖は客船で、陸路はバスで移動する旅で、アルゼンチンとチリの国境は

2つの湖の中間部辺りにあり、チリ側にある2つ目の湖を過ぎると突然、富士山そっくりの山が出現。

オソルノ(Osorno)山と呼ばれる火山で、日系人はチリ富士と呼んでいて、夏でも冠雪してい

る山である。

 

バリロッチから3つ目の湖の湖畔の町、プエルト・バラスで宿泊し、陸路、海岸に向かうとプエル

ト・モン(Puerto montt)という港町に着く。

港に面した食堂街では、海の幸が楽しめ、中でもチリでセントージャ(Centolla)と呼ばれる

タラバガニ似の蟹のゆでたのや、貝類とジャガイモの煮物が美味しかった。

セントージャは「戦闘じゃ」と記憶したので、20数年経つが今でも名前が出て来る。

 

プエルト・モンから空路、チリの首都サンチャゴ(SANTIAGO)へ移動し、サンチャゴ観光と

陸路、海水浴場へ。寒流が近くを流れており、海水温が低すぎて、海水浴には不向きであった。

サンチャゴからは空路、アンデス越えして、猛暑で雨季のブラジルに戻り、正月を迎えた。

 

オソルノ山 (チリの絵葉書より)

セント―ジャ(インターネットより)

 

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