短編その1
初めての海外出張 テキサス州ヒューストン郊外 1976年3月 ヒューストン郊外の化学工場で半月の研修のため、日本からは私1人、ブラジルからは 3人参加した。 この化学工場は地下に岩塩層があるため、原料として食塩を購入する必要が無く、温水を地下に注入して食塩水として汲み上げる方式である。そして食塩水を精製して電気分解し、大量の苛性ソーダと塩素を製造している工場であった。 研修の終わりごろには、ヒューストンのレストランで化学工場のアメリカ人担当者が宴を催してくれるというので、楽しみにして研修にいそしんだ。 招待されたレストランは格式高いのか、男性は上着着用でないと入れないシステムであった。私は上着を着用していたので問題なかったが、ブラジル人は3人とも上着を着用して来なかった。しかしレストランが上着を貸してくれたので事なきを得た。 私は注文した料理名を忘れてしまい、料理が来たとき、戸惑った恥ずかしい思い出がある。 食後のコーヒータイムで、私の趣味を問われ、魚釣りと答えたら、釣った魚はまさか食べないでしょうねとアメリカ人に問われ、理由を聞くと日本周辺の魚は有機水銀に汚染されているから、食べたら「水俣病」になるのではと言われてしまった。 私は水俣病を発症したのは、熊本や新潟の一部地域のみで、他の地域は問題ないと抗弁したが、あまり納得して貰えなかった。 半月ヒューストン郊外で研修後、続いてニュージーランドに移動し、タスマン製紙会社の塩素酸ソーダの製造現場で半月研修し、休日にロトルア観光もして、計1か月の出張を終え、日本語が通じる日本に帰国できた。
筆者のホームページ (江戸ワードのHP) http://hw001.spaaqs.ne.jp/manet39monet 1966年入社 市場正紀 |
写真が、原稿では入っているが、公開ページに反映されておらず、原因検討中。