レジェンド 82
(平成26年5月16日 投稿:齋藤 元)
今年の2月7日から始まったソチオリンピック、最も話題となったのは何と言っても羽生結弦(はにゅう・ゆづる)君、「パリの散歩道」の曲で細身の体で華麗な4回転、すばらしいの一言、でも最も我々に勇気を与えてくれたのは、若手がひしめくジャンパーの中で堂々銀メダルの葛西選手である。まさしくレジェンド41にふさわしい人である。しかし我々にとって近づけない存在でもある。ところが我々の身近に、2倍のレジェンド82が現われたのである。等身大の我々が誇れるレジェンドを紹介しましょう。
今年の3月5日から8日まで山とスキーの会メンバーがニセコに集合、脇坂さん夫妻、工藤さん、田澤さん、荻野さん、梅島さん、齋藤の計7名 平均年齢73才である。今シーズンスキーは3回目の人、2年ぶりの人、3年ぶりの人さまざまである。
羽田8時集合、検問を通過する時、一人が捉まった。梅島さんが焼酎を2本リュックに忍ばせていたみたい、ただし未開栓の瓶は持ち込みOKらしい。
新千歳空港に着き、昼食後各々のバスツアーコースに一列に並ぶ。中国人が大勢並ぶ、そして欧米人、日本人、新千歳空港は正に国際空港に成って来た。ニセコまで2時間半、途中、道の駅でキノコ汁をすする。冷えた体には最適であった。
ニセコひらふ亭着。スキーウエアに着替え、いざゲレンデに。リフト券は5時間券、もちろんシニア料金。ファミリーコース(エースファミリーペアリフト)で足慣らし。雪がぱらぱら降ってくる。次にエース第二クワッドリフト(4人乗り、1719m)に7分間乗るがフードがないため寒い、尾根に出ると吹雪でほとんど周りが見えない。リフトを降りると一瞬青空が見えた。スキーの形をした温度計の前で集合写真を撮る。
写真@左から脇坂、梅島、荻野、工藤、脇坂夫人、田澤
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この時、温度計は−11℃を指している。降りしきる雪の中、よく見ると上のリフトは強風で止まっているようだ。上に行くのはあきらめ、このコースを降りようとするが、ホワイトアウトで全く前が見えない。やっとの思いで降りて、再度クワッドリフトに乗る。隣の外人に「吹雪で折角のスキー残念ですね。」と言ったら、「いい雪だ、リフトも空いているし、最高だ」と答え、リフトから降りたらスノボーで林の中に消えていった。
寒い!頭が締め付けられるみたいに痛い、脳溢血にならないようにファミリーコースで戻って今日は終了。さあ温泉だ、冷えた体を夜間照明のついたスキー場を見下ろせる露天風呂で温めていると、若者集団がどやどや入ってきた。大声でしゃべりまくっている。何語だか、わからない。「どこから来たのか」と聞くとマカオだという。
湯舟にタオルを入れるので、「タオルを頭の上に載せて湯に入りなさい」と注意しておいた。うるさくて隣の欧米人は露天風呂から出て行ってしまった。楽しい時間が不愉快になってしまった。
夕食は7時から、家庭にいる時の夕食はこの時間帯でも早いくらいなのに、何もすることがないので、早く飲みたい、食べたい。ところが学習院男子高校生が200名泊まっているので、この若者たちが一番方、さすが学習院の名にふさわしく大勢いても、うるさくなくて、数名のマカオ人とは雲泥の差。
二番方の夕食となり、早速荻野さん5リットルの樽の生ビール発注、バイキング方式なのでトレーに沢山の料理、牛肉、ラム肉、ソーセージ、ハム、サラダ、かに、天ぷら、刺身、鉄火巻、皆思い思いに山盛りの皿が並ぶ。ビールで乾杯。初日はほどほどに、ビールは普段の量、食事は多目。
写真A 乾杯〜!
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二日目、9時半スタート、リフト券を3日券にするか、天候次第だから8時間券にして毎日購入するか、悩ましいところである。ファミリーペアリフトに並んでいると、この子をリフトの上まで同伴してほしいと5〜6人預けられてしまった。皆同じ黄色いウエアーを着ているので、キッズスクールの子供たちのようだ、隣に座った男の子、乗った途端にしゃべりだす、キッズ英語だから何を云っているのかわからない、枝に積もった雪、雪だるまの形をした雪を指さして、ウサギさん、きつねさんと言っているようだ。リフトから降りて、待っていると、工藤さんの同伴キッズもしゃべりまくっていたそうだ、最後にインストラクターが降りてきて、サンキュウベリーマッチ。欧米社会は子供たちをスクールに預けて、夫婦で上級コースでスキーを楽しんでいる。子供たちは先生の後に数珠つなぎで滑っていく、ストックは持っていない。みな喚声を上げて滑っている。日本人の間では考えられない光景である。
クワッドリフトで出会った3名の若い欧米人、どこから来たかと聞くと、アメリカ、カナダ、オーストラリアとの返事、どうもスキー仲間のようだ。ヨーロッパ、アメリカ、カナダなどの世界中のスキー場に行っているみたいなので、どこの雪がベストかと聞くとニセコが一番と三人とも同じ意見、アメリカ人が雪質はニセコ、急峻なのはカナダのウィスラーが一番だと答えた。
リフトを2段続けて上の方へ行くと昨日よりも雪と強風でほとんど雪面が見えない。それでも全員何回か滑る。
写真B(上から田澤、脇坂、梅島)
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写真C(左から工藤、脇坂、荻野)
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写真D(上から脇坂夫人、梅島)
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寒すぎるので、下まで降りて今度はゴンドラに乗ることにした。8人掛けだ。どこから来たとまた聞くと、シンガポールから、香港からという、欧米人の顔をしているので、母国はと尋ねるとオーストラリアだという。オーストラリアは不況だから東南アジアに拠点を移しているらしい。英語圏の人たちは儲かるところに簡単に移動できる気質を持っているようだ。
オーストラリアは今が夏休み皆2週間ぐらい日本にいるみたい。メルボルンから、西の端パースから来た人も数人いた。
驚いたのは、南アフリカから来たという、数年前にジンバブエに居たが仕事がないので南アに移住したという。20年以上もムガベ大統領が統治しているのだから、あたりまえだと云ったら、サンキュウと言われた。滑っている途中で偶然、南ア青年に会った。ヨーと声かけたら、「ユアースキーイング イズ スプレンディド(素晴らしい!)」と云ってくれた。次の瞬間、彼は谷底目掛けて林の中に突進して行った。
皆さん、寒い・疲れた、と云っていたが全員5時まで滑っていたようだ。スキー帽、ゴーグルを取らなければ皆若者と同じ。
入浴後、夕食、今日は朝から体を動かしたせいか、ビールも食も進む。数皿に料理を載せ、1トレーで、だいたい腹いっぱいになるのだが、一人だけ、最初のトレーはステーキ、カニ、刺身、天ぷら、ごはん、味噌汁を平らげ、次のトレーでサラダ、漬物、煮物、杏仁豆腐、アイスクリームをのせてきた。すご〜い、長老!。
写真E この写真は朝食、夕食は此の倍
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部屋に戻ると2次会、テーブルに5〜6本焼酎が並ぶ。
いつものように千葉県産の落花生を持参した梅島さん、殻を捨てるゴミ袋を皆さんに配る心配り。今日、明日で瓶を空けなければならない。ピッチを上げる。田澤さんが百名山を昨年で踏破したので、これから海外にも足をのばすらしい。王子OBのスキーグループは他にもあるらしい。一番審査が厳しいのは西村グループのようだ、ここにいる数名しか会員になれないとのこと。
テレビで明日の天気予報を見ているがニセコがどの地区かわからない。倶知安という字幕は出てこない。北海道生まれがやっと思い出した、後志(しりべし)地区だと、明日も雪だるまに斜めの雪マーク付いている、吹雪だ。
3月7日朝から猛吹雪、それでもだれも無口で止(や)めようという人はいない。リフト券を5時間券にして無言の抵抗をする人が二名。風のないコースはニセコアンヌプリに向かって一番右側の花園コース。そこに行こうと荻野さん、尾根が一つ違うのでリフトを乗り継いでかなり上まで行かないと沢を渡れない。キング第3リフトにのり、ジャンボコース途中からパラレルコースに入り、花園コースを目指す。強風が吹くと滑っているのか、止まっているのか、全く分からなくなる。真っ白な世界に一人だけ。とにかく視界の広がる下に降りなければならない。やっと花園第2リフト乗り場のだだっ広い林間コースに出る。7名全員を確認し、とにかく下のレストランで一服。ここにもキッズスクールがある。
花園第一リフト(フード付4人乗り)で昼まで滑る予定。数種類のコースがあるのでまずは「ステアウエイ トウ ヘブン」コースで滑る。新雪で軽やか、下の方は圧雪車で均(なら)している。体重の移動だけで、極めて気分よく曲げられる正に天国に行くような気持ちになったとき、この長ったらしい名前のコースの意味が分かった。日本人なら「天国への階段」なんて名前は付けないはず。きっとキリスト教国の人が命名したのではないかと。
三日目になると相当疲れが出てきたのか、11時半には下のレストランで待ち合わせることにし、齋藤だけ先に「レジェンド・オブ・シンヤ」のコースに消えて行った。他の6名、コースを探しながらなだらかな林間コースへ、コース名の標示版を見る。
吹雪で見えづらかったのか、「シンヤ」を「シニア」と読んでしまった。それともシニア世代はリフト料も優遇されている。コースも優遇されていると都合よく解釈する脳が出来上がってしまっているのか。
林間コースが終わるとコースがない。覗くと30°の急斜面もう戻ることもできない。圧雪車の来れない急斜面、深さ1mの新雪の上を滑りたいが、スキーが雪の中に入り見えない。ターンするにも、スキーを揚げられない。転んだら起き上がれない。斜面途中で立往生。
それとは知らず先行した齋藤は、「天国への階段」を3回滑り、12時過ぎレストランに入るが、日本人は誰もいない。全て欧米人、ここはアルプスのレストランかと思うほどだ。
写真F 花園レストランで
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窓を覗くと外に日本人、やっと今着いたらしい。小一時間かかった滑り、苦労話に花が咲く、でも怪我もせず降りてきた。
これぞレジェンド82の誕生である。
どうやって降りたかの話に夢中になっていたら、5時間券の人がいた、花園第二リフトを14時47分に通過しないと帰れなくなる。必死の思いで第一リフトに乗り、ほっとしたら、降車寸前強風に襲われリフトストップ、焦る気持ちでリフトを降りたら、かすかに見える第二リフト乗り場に、まさにディスタンス(距離)競技、14時45分荻野氏、工藤氏入口ゲート通過、ああこれで戻れる。下りはホリデーコース約3キロメートルの長丁場、レジェンドの難コースを滑ったせいか、皆自信にあふれた滑りになってきた。
今日のスキーは長く感じた。天国に行ったような気持ちになった人もいれば、地獄に突き落とされた気分になった人もいたようだ。とにかく楽しかった。
明日は午前中で終わるので今日が最後の晩餐となる。脇さんが今日もツートレー分の食事を食いまくり、しゃべりまくり、飲みまくり、ますます「レジェンド82」は意気軒昂。
部屋に戻っても最後の宴が続く。明日も雪、4日間連続雪は今まで経験したことがない。1日は晴れるのが通例で、頂上に登って蝦夷富士を拝むのが楽しみなのに、今回は出来ず。これも地球温暖化の影響らしい。
最終日、土曜日なので地元のスキーヤーが来るので、混む前に各自自分の好きなコースで滑る。11時全員怪我もなく投了、すぐ帰り支度、12時、昔からあるリスさんマークのニセコアルペンで豪華海鮮昼食。
写真G 海鮮昼食
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比羅夫からバスで一路新千歳空港へ、疲れてただ寝るだけ。空港にてトマコマイラーメンを食べ、19時羽田行きに乗る。
今回感じたのは、ヘルメットの真上にミニカメラを載せ、スノーボーダーは両手が空くので、片手で棒を持ちその先端にまたカメラを付け、滑っている斜面と滑っている自分を映している。カメラマンとスノーボーダーが一体だ、この映像をすぐSNS(ソーシャルネットワークサービス)で全世界の友達に流す。ニセコのパウダースノーが世界中にばらまかれ世界中からスキーヤーが集まってくる。こんなスノーボーダーをたくさん見かけた。
家族ずれは子供をスキースクールに預けて、親は自分たちだけでスキーを楽しんでいる。
欧米のシステムがニセコに根付いている。
そして大げさではあるがニセコに来ると、世界の経済状況が判る。スキー・ボードをする中国人が増えてきたこと。韓国人が極めて少なくなったこと。日本人も減ってきたようだ。
減らさないためにも我々世代が健康のため頑張らなくてはならない。良い目標値が身近にできた。レジェンド82である。彼が出来るなら、俺だってと思っておられる方が多いと思われます。今こそ自分自身でレジェンドを作ってみてはいかがでしょうか。
4日間吹雪との戦いでしたが、我々の仲間、役田さん(苫小牧在住)が今シーズン(平成25年12月24日)にニセコから羊蹄山(蝦夷富士)を撮った写真を掲載します。
写真Hニセコから羊蹄山を望む
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了
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