17回ぶらり歩こう会

 

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下記「ぶらり歩こう会」イベントは終了しました。  2018. 5. 24

 

17回ぶらり歩こう会

甲州街道・内藤新宿散策コース

日  時  平成30年5月23日(水) 10:00集合

集合場所  JR四ツ谷駅 赤坂口(新宿側)出口  東京メトロ2番出口

 

(まえがき)

 昨年の春に東海道・品川宿、秋に奥州街道(日光街道)・千住宿、今春には中山道・板橋宿を散策しましたが江戸四宿の最後に甲州街道・内藤新宿を散策いたします。

 甲州街道(江戸から下諏訪まで、下諏訪で中山道に合流)の最初の宿場は高井戸でしたが浅草の名主喜兵衛(のち高松喜六)らが太宗寺南東に宿場開設を幕府に懇願、新宿として元禄12年(1699年)開設された。

 内藤新宿は内藤家2代当主清成が家康の鷹狩りに同行した際に家康から「この一帯を馬で駆けて見ろ。駆け回ってきた土地は全部お前にやろう」と言われ、清成は愛馬にまたがり四谷、千駄ヶ谷、代々木、大久保と廻って戻って来て広大な土地(約20万坪)を貰い受けたという話が残っている。(内藤家18代目当主は現在も当地(内藤町)に住んでいる。なお、内藤町の番地は1番地の一つだけしかない。)

 内藤新宿は内藤家の土地の3分の1を返上させて宿場を作ったもので現在の四谷4丁目の四谷大木戸門から新宿3丁目(新宿追分)あたりまでの東西約1kmに広がっていた。

 今日は四ツ谷駅から新宿歴史博物館、四谷4丁目、玉川上水内藤新宿分水散歩道などを経て花園神社まで歩き、新宿3丁目で昼食後解散いたします。(14時半ごろ)

(寄り道の案内)

1.新宿歴史博物館(入館料300円 20人以上団体150円)

    平成元年設立 旧石器時代から現在までの新宿の資料展示

2.消防博物館(入館無料)

    消防庁の最新の取り組み、消防ヘリ、自動車の展示など    

3.キムチ博物館(妻家房)

    キムチの歴史や道具の展示、販売

4.四谷大木戸門跡

    甲州街道入口に関を設け貨物などの検査をした。16161792年。

    江戸名所図会には「この地の左右は谷にて一筋道なり。この関にて往還の人を糾問せらる」となっている。

5.斎藤茂吉終焉の地(昭和25〜28年在住)

    亡くなる前の2年間をここで過ごした。ここは「斎藤神経科」があった所。

    息子の茂太、北杜夫も一緒だった。

    なお、病院は今でも府中市に「医療法人赤光会斎藤病院」として続いている。

6.玉川上水水番所跡

    羽村市の取水地から43kmの四谷大木戸までは開渠となっていて、ここから江戸までは地下を流すようにしていました。

    水番所では水質、水量、ゴミや異物の監視を行っていた。

    43kmの工事を玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)は何と8ヶ月で完成させた。

7.玉川上水・内藤新宿分水散歩道(約540m)

    玉川上水は新宿御苑の北側に沿って流れていましたが新宿区では「まちの記憶」として「玉川上水」の流れを偲ぶために新宿御苑内に玉川上水・内藤新宿分水散歩道を整備、2012年完成したものです。

8.太宗寺(浄土宗 1596年頃)

    内藤家の第5代正勝からの菩提寺に。

    銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵の一つ)、閻魔像、奪衣婆像(三途の川を渡る亡者から衣服をはぎ取り罪の軽重を計る)、塩かけ地蔵(願掛けの返礼に塩をかける)

    などの文化財が多い。

9.正受院(しょうじゅいん)(浄土宗 1594年)

    ここの奪衣婆像は咳止めに霊験があると云われ、治ると綿が奉納され被せられたため「綿のおばば」とも言われている

10.成覚寺(じょうかくじ)(浄土宗 1594年)

    内藤新宿の飯盛り女(子供と呼ばれていた)の投げ込み寺だった(子供合埋碑)。ほかに玉川上水で入水した人を弔う旭地蔵など内藤新宿の暗い部分を物語っている。

11.花園神社(新宿の総鎮守)

    創建の由緒は不明だが江戸開府以前に存在しており大和吉野山よりの勧請と伝えられている。当初は今の伊勢丹付近にあったが後に朝倉筑後守の下屋敷の中に入ってしまい、幕府に訴え尾張藩下屋敷の庭に移転した。そこは花が咲き乱れていたことから「花園」の名称になったようだ。

    江戸時代は「花園社」と親しまれていたが正式に「花園神社」になったのは昭和

40年のことである。

境内に「芸能浅間神社」があり囲いには芸能人の名が並んでいる。藤圭子の歌碑もある。

12.新宿追分

    甲州街道と青梅街道の分岐点で現在の新宿3丁目交差点がその跡地となる。

    内藤新宿が出来たころの追分は今の新宿2丁目でY字に分かれていたが宿場町の発展を阻害するということで宿場の西端に移された。

    「追分だんご」の由来:太田道灌が鷹狩りの帰り、高井戸で中秋の名月の宴をはっていたところ土着の名族から手つきの団子が献上され大喜びし、その後も所望したと言われている。高井戸が甲州街道の始駅となって団小屋は「柳茶屋」と号し繁盛、

    のちに内藤新宿が出来てから新宿追分に移転、「追分団子」とよばれるようになった。(因みに今の「追分だんご本舗」は昭和20年創業。)

昼食・懇親会

    「北国酒場んだんだ」 新宿3−6−11 庄助ビル2F 050-3476-8846

    ランチは700〜1,300円の範囲で13種ほどあります。

各自注文してテーブル毎に清算してください。

 

 

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