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シルクロード遊行記 (写真6枚) 吉埜 隆さん 投稿 2006年9月26日 縁あってカラコルム・ハイウエイの旅に出ることになった。 仏法では人生を学生期・家住期・林住期・遊行期に分けている。芭蕉翁が奥の細道の旅に出たのは元禄2年46歳の春だった。73歳を迎えた私が 一人旅に出るのも悪くは無いと勝手に決めて成田からウルムチ行きのANAの客になった。大連で給油して現地までの直行チャーター便である。当日午後8時薄暮のウルムチ空港に着いた。現代の旅は楽だが味気ない感も無きにしもあらずである。ゴビ砂漠上空は雲の海だった。 27日 東へ200kmバスで戻ってトルファンに行く。三蔵法師が苦労した火焔山を車窓に眺めて高昌故城に着く。玄奘三蔵が歓待された高昌国の故城はAD640年に唐に破壊されて1.5km四方の砂漠には日干し煉瓦の城壁などがそのまま残されている。 城域は観光用に無公害のロバの馬車が行き交う。子供の御者が面白がって「ガンバレ ガンバレ」と鞭を振って競争させる。凸凹の砂地は観光客のマッサージになった。再びウルムチに戻ってカシュガルに飛ぶ。其尼瓦克賓館のイスラム風郷土料理は美味い。 28日 カラコルム・ハイウエイを南へ200km パミール高原の山峡を縫ってバスはパキスタン国境に近いカラクリ湖に向う。崑崙山脈の雪解け水の洪水で途中何度も舗装が破壊されて悪路を迂回させられる。標高3600米のカラクリ湖畔は空気も薄く僅かの登り坂でも息が切れる。湖の対岸には標高7546米のムスターグ山が聳えている。K2峰には及ばないがほぼ富士山の倍の高さになる。目の保養をしてカシュガルに帰る。丁度ラマダンで日没まで断食した人達で 夜店の並ぶ飲食街は大賑わいだった。 29日 昔は佛教の聖地だった街も今はイスラム一色で西域最大のエイティガール寺院も導師がコーランを朗読するイスラム寺院になっている。仏像も十字架も無い広間でメッカの方を向いて祈る。昼から古都クチャへ向けて南疆鉄道に乗る。グリーン車(軟臥車)はコンパートメントの寝台車で上下2段式である。午後2時に出て約9時間天山山脈の裾を東に深夜のクチャ(庫車)の街に着く。車中で買った新疆銘酒「天山」はアルコール度38度 現地では美味いと感じたがかなり強烈な香りの焼酎だった。 30日 クチャの観光でまずキジル千仏洞へ行く。極彩色の壁画もイスラム・西欧の探検隊・文化大革命などの破壊にあって惨憺たる状態で保存されている。クチャ王族(亀茲国)出身の名僧鳩摩羅什はAD401年長安に来て般若・法華経など約三百巻を訳して講説し、国師と仰がれた。私の住む上総一宮の東漸寺も釈迦如来から鳩摩羅什・菩提達磨・永平道元を経て88代の法脈を継ぐ曹洞宗の寺院である。大先輩の銅像に敬意を表してクチャの街に帰る。途中塩水の渓谷、狼煙台の遺跡などが残っている。 10月1日 暫くぶりのプロペラ機で空路ウルムチに飛ぶ。新疆ウイグル自治区博物館は開館1周年記念でにぎわっていた。石器時代から清朝まで3万点余の出土品が陳列されている。中でも砂漠から発掘された楼蘭美女のミイラは艶かしい姿のまま展示されている。大英博物館のエジプトのミイラとは異なり、死体に麻布を巻いて砂漠に埋葬されたものだそうだ。またアスターナ古墳から発見された唐墨は正倉院御物とほぼ同じ物だという。市内の紅山公園は革命記念日で賑わい、大仏寺にも参詣者が溢れていた。 2日 前夜発のANAジャンボ機は午前5時前に無事羽田空港に着陸、私の奥の細道もめでたく完了した。体と心と財布の健康があればこそと感謝の念ひとしおであった。 |
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