投稿文25

 

「月見草の夏」

8月29日  多摩の森番                             

今年の夏も平均年齢76歳の老熟仲間が、閣下ご夫妻のお招きで、山中湖の山荘へお邪魔した。富士の山頂こそ見られなかったが、涼気・静謐な時を共有してきた。ちなみに仲間をその綽名で並べると、

閣下(又は大使)、院長(又は大主教)、博士(又は旧暦通)、幹事長(又は漢字長)、怪長(又は紙の神)となる。そして又会の名は各自の頭文字を拾って「カイホー会」という。

 短夜も夜長に変わりつつある8月下旬、ほの暗いベランダで杯を傾け語り合うのは、至福といっても言い過ぎにはなるまい。

 昼間、山中湖畔の文学館で、三島由紀夫、徳富蘇峰、高浜虚子の事跡を再認識し、瞬間的文学愛好家となった関係もあり、話題の一つは太宰治の「月見草」となった。ここ山中湖の山荘より北東、直線距離14キロに、例の御坂峠があり、太宰はそこから南に見える富士を望んで、

「黄金色の月見草の花ひとつ、花弁も鮮やかに消えずに残った。3778メートルの富士の山と立派に相対峙し、みじんもゆるがず、何といふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすっくと立ってゐたあの月見草は、よかった。富士には月見草が良く似合ふ」

と書いた。月見草が人口に膾炙した有名な文章だ。

 山を下りてからしばらくして、月見草のことが気になってきた。何を隠そう実はよく理解していなかったのだ。調べてみると、本物の月見草は野生ではメッタに見られない種類で、花の色も白から薄いピンクであると。一方太宰の文章の月見草と言うのは、黄色の花をつけるオオマツヨイグサのことであり、同属ではあるが異なる種類になるのだそうだ。

それでは太宰が間違えたのだろうか。そうではないと思う。地元の人もそれを聞いた太宰も、黄色い花のオオマツヨイグサが月見草にふさわしいと思っていたのだろう。ちなみに俳句の季題には月見草、待宵草、大待宵草、宵待草はひと括りになっている。もちろん全部情緒あふれる漢字で。

月見草とかマツヨイグサ(待宵草)とかと詮索をするのは、この際文学知らずの俗物の考えることだった。

 蛇足であるが(また?)月見草と言うと、野球の野村監督の言葉がある。

「巨人の長島・王が太陽の下に咲くヒマワリならば、自分はしょせん月を仰いで咲く月見草である」。彼のぼやき言葉は今でも時々テレビで見聞きしているが、その度に何か含んでいるなと少々反発を感じながら、聞き流している。

 

夏は過ぎ、月見草を語った夜は良い思い出となった。       

                            甘利敬正