望郷旅行 〜 瀋陽 』その2

 

最後に、今回のツアーの初日と二日目で廻って来た観光施設の事にも、少しだけ触れておく。最初に訪れたのは、「瀋陽故宮」。1625年に創設され、清朝の太祖ヌルハチ(1626年、清朝の前身/後金国を建国)と清朝初代皇帝ホンタイジが居住し、執務したという皇居で、北京の「故宮」と共に世界文化遺産に登録されている。


「瀋陽故宮」大政殿より十王亭を望む

訪れた時は、偶々小雨模様になってしまったが、広い広場の奥中央に 皇帝が式典を行う場所である「大政殿」が建ち、広場の両側に「十王亭」と呼ばれる10軒の館(貴族や大臣達の執務室)が居並ぶ光景は、やヽ殺風景な趣ではあるが、歴史を感じさせる。

故宮のシンボルのように聳える三層建ての「鳳凰楼」(皇帝が、軍政を協議したり、宴を催した場所だという)を通り抜けて、更に奥に歩を進めると、皇帝・皇后の居所である、「清寧宮」や、その左右に隣接した第二〜第五皇后の居所があり、当時の権勢を偲ばせる。

二日目、もう一つの世界文化遺産である「福陵」(瀋陽の東部にあるので、「東陵」とも呼ぶ)に向かう。


「瀋陽故宮」鳳凰楼

松林に覆われた丘陵地帯に位置するこの陵墓には、太祖ヌルハチとその皇后が眠る。

正面の「正紅門」を潜って、中に入ると石畳の参道とそれに続く石段があり、登り切った処に「福陵碑亭」(中に記念石碑安置)が建つ。観光客もさほど多くなく、割合と静けさを感じて、若干ではあるが、まるで日本の山寺を訪れているような雰囲気もある。

しかし、その背後は城壁に囲まれた方城になっており、その入口が三階建ての楼閣「五鳳楼」を頂く「隆恩門」で、ここを通って方城の中に踏み込むと、さすがに広い空間だ。


「福稜」隆恩門と五鳳楼

 

そこには中心となる「隆恩殿」(祭祀を行う場所)その他の建物が並び、一番奥の城壁の向こう側に築山状になった墓地(宝頂)があって、そこにヌルハチと皇后が埋葬されている。

城壁側には、宝頂への入り口に当たる部分に立派な壁面飾りが施されているが、普段は、ハテな?何処から入るのだか分らない・・と言う。但し、月夜の晩だけはそれが分かるというので、ガイドのヒョウ・タンさんには、「今夜、もう一度訪れて確認しますか?」と上手な日本語で、からかわれた。

 

 午後からは、初代皇帝ホンタイジとその皇后が葬られているという、もう一つの陵墓「昭陵」も訪ねた(こちらも世界文化遺産)。


「陸稜」正面の公園入り口

 

こちらは市街地に近く、その北方に位置する処から「北陵」とも呼ばれている。「福陵」とは異なって、一帯が広大な公園(北陵公園)になっていて、公園の入口から「昭陵」の入り口に当たる「正紅門」(福陵と同じ命名)までの広く一直線の道のりは、ゆっくりと走る有料の電動カートに乗って移動した。道の右側には大きな人口湖も広がり、又途中には広場(ロータリー)があって、そこには、皇帝ホンタイジの石像が天を突いて建っている・・という趣きだ。

ようやく陵墓の入り口部に近づいて電動カートから降りると、石造りの「石碑坊」と呼ばれる大門(倒壊防止の為に支え棒で保護)と、その先に「正紅門」のあり、そこから陵墓の中に入っていく。


「陸恩殿」を背景にして、皇帝、皇后登場

(皇后は、ヒョウ・タンさん)

 

 参道(神道)から、方城の入り口になる「隆恩門」(これも、「福陵」の門と同じ名前)までは、「福陵」に比べると、ひと回り規模が大きいが、「隆恩門」を潜って中に入ると、中心の「隆恩殿」を始めとして、ほぼ「福陵」と同じような印象だった。

 

これらの観光とは別に、瀋陽を訪れた際に、忘れてはならないのは、かつて日本帝国時代の関東軍が独走して起こした「満州事変」(1931年。翌32年に「満州国」建国)の事だろう。

この満州事変の引き金が、関東軍の策略による1931年9月18日の「柳条湖線路(瀋陽近郊)爆破事件」(いわゆる「柳条湖事件」)で、中国では「九・一八事件」と呼んで、記念日とし、毎年この日が近付くと、街中でも「デモ」があったりして、「反日感情」が高まる・・と出掛ける前から聞いていた。今回、遊覧の途中で、その記念館らしき建物の前も通り過ぎたが、

そんな訳で、申し訳ないことではあるが素通りして、我々観光側も案内のガイド役も、敢えてこの点については、ひと言も触れないで済ませてしまった。(9月に入ると、街中でトラブルに巻き込まれてもいけないので、8月中に旅行を済ませた・・という思惑もあり)

それから、もう一つ。瀋陽滞在中に美味しい餃子で有名なお店に連れていって貰って、それこそ“水餃子”、“蒸し餃子”、“焼き餃子”・・と餃子尽しの料理を堪能して来たが、その後、日本で例の“冷凍餃子事件”が発生し、若しも旅行がその後だったら、あれとこれとは無関係・・とは言うものの、果たして無邪気に「旨い、旨い・・」と喜んでおられただろうか?

 

ともあれ、こうして3日間の「瀋陽」滞在を終えて、4日目の朝、筆者と田畑さんは可愛いガイドのお嬢さんと運転手に見送られながら、「瀋陽北駅」(「瀋陽駅」よりも新しい主要駅)から列車で「大連」へと向かった。

汽車の旅は、約4時間。用意された切符を見ると、“新空調軟座特快”と書いてあり、“特急列車で空調の利いた一等席”の意か? 

「大連」駅に到着すると、こちらは若い青年の現地ガイドが待ち受けてくれて、そのまま丸一日「大連」市内遊覧を楽しんだ。

翌日(8月30日)「大連」空港から3時間のフライトで「成田」に戻り、無事に今回の旅を終えた。

                              <完>

 

 

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