昭和33年、王子製紙春日井工場で起きたストライキについて

その2

 

人が居住していない処での生活が始まるわけで、何もかも不自由な生活を強いられたのだ。食事は、入構後は、毎食、駅弁だった。入構時、最初の外注の駅弁が届いた時に、そんなに大勢の人が工場に入ったはずは無い、駅弁の数が多すぎると王労側(正門でピケを張っていた)がクレームをつけてきた。

そこで、人数を確認するために、昔の工場事務所前の空き地に、我々全員が整列して人数を確認させられたのを覚えている。この事実は、会社側が、王子労組に及び腰であったからだと思った。一々、王労の了解を得る必要などはない問題ではなかったのか。従業員に食事を与える為に、王子労組の了解など要らないはずだと思った。会社側が弱腰だったと考えざるを得ない事であった。

人数確認後、王労側は、入構者の数が多かったので驚いたようだ。

当時、苫小牧でも同時にストライキが行われていたが、対応の仕方が、両工場では全く違っていた様である。これはスト後に、聞いた話だが。

 

この駅弁の配給は、朝昼晩の3食で、かなりの期間続いた。ストライキ後、暫くの間は、駅弁などは食べる気がせず、見るのもいやだったのを思い出す。

その後、貨車で米その他の食料品が搬入され、自炊の体制が整い、炊き出しが始まった。 又、必要な日常品も搬入されたので、我々は、最低限度、何不自由なく、タバコは毎日配給されたし、必要な日常品はもとより下着類も何不自由なく配給になっていた。

ストライキ前から工場で使用する薬品類のタンク車や丸太を載せた貨車の工場への搬入は、春日井駅からの専用側線で行われていた。ストライキも長期化が予想されたので、工場構内で食事の炊き出しをしようという事で必要な食料品は、無蓋貨車で、丸太の下に、隠して搬入された。暫く順調に推移したが、王子労組側が操業用の薬品の搬入をピケにより阻止するような行動に出た。側線の線路上に座り込みをしたのだ。当時の警察は、それらのピケ隊の妨害を排除する事すら出来なかったのだ。

貨車の搬入は、ピケのため、出来なくなり、代わって郵便小包で搬入する事になったのを記憶している。小包は、正門の守衛室に郵便車で届いたが、ピケを張り阻止する事は、郵便法に抵触するという事で、小包はスムーズに搬入する事が出来た。

 

当時のピケについて若干記述する。

当時、ストライキ中は、王労員はもとより、総評傘下の組合員が応援のため動員されていた。工場の各門並びに工場周辺の角々には、ピケ小屋が造られて、ピケ小屋に監視員を配置して、24時間中、不審者を監視していた。

前述のように、相手のピケが強く、我々は、工場構内から一歩も出られなかつた。外出など全然考えられなかった。

その後、工場の外を本社から応援に来て、社宅地区を歩いていた森健氏、甘利敬正氏等は、王子労組員に捕まって、無理矢理に工場構内に入れさせられたという事件も発生している。又、時には王子労組員が工場構内にデモをして来た事もあった。王子労組の田原書記長が先頭でリードして来て、我々の直ぐ前に来たデモを思い出す。僕は、本社の組合で代議員?をしていたので、互いに顔を知っていたのでよく覚えている。相手もチョットびっくりしていた。

 

当時、春日井工場には、仕上部門があり、そこに勤務していた女子従業員が数百人いたが、彼女らは、全員が王子労組員で、スト発生後は、全員が王子労組員の社宅に寝泊りしていた。王子労組員の社宅には、ストの応援に来た総評所属のオルグの人達も宿泊していた。

仕上の女子従業員は、精神的におかしくなっていて、言わば、半狂乱の状態であったといえよう。ストライキという異常な事態となると想像を絶するような事が起きるものだ。当時、オルグと称して、同じ総評系の労組員が王子労組の応援に来ていた。これらのオルグは、日当をもらい、遊び半分で応援に来ていたのだ。仕上部門の若い女子行員と社宅で雑魚寝したり、表現出来ないような性的なきわどい行為をさせられたと聞いている。

 

工場の構内に入った我々新労員は、何をしたかというと、技術系の人は、先ず操業を再開するという事で、一部の抄紙機を稼動させた。煙突から煙を出せば、王労側もびっくりするであろうというのがネライであつた。

僕は、事務屋なので、当初は、夜間の警備をする事になった。工場構内にジープが1台あった(他に名鉄タクシーが1台あつた)ので、それによる工場構内のパトロールである。何人かで交代でやったのだが、仲間に先輩の大石さんがいたのを覚えている。

僕は、昭和27年に運転免許をとっていたので、喜んでやったのだが、慣れない夜間の仕事なので、睡眠時間が狂ってしまい、体力的には、相当まいってしまったが、何とかもった。若かった事と、会社のためには、王子労組に負けてたまるものかという気迫のためであったのだろう。

 

警備のパトロールは、4、5日間で数日後に、経理関係の仕事をする事になった。丁度決算期で決算関係の仕事が主で、減価償却計算等をしていた。

その内、王子労組執行部より、王子労組の組合員が、社内預金をおろせば、会社側が資金繰りに困り、お手上げになるから、どんどん預金をおろせとの指示が出て、預金の払出しをする従業員が、殺到する事になった。払い出し業務が忙しくなった。預金の一部を卸すのであれば簡単なのだが、全額をおろすという事は、預金を解約する事なので、積数を計算して利息の計算もしなければならないので、支払い事務に時間が掛かり、大変だった。

その後、解約申し出で後、現金を支払うのを23日後にしてもらうようにしたが、最初の内は、時間的に余裕が無く、えらい目にあった事を記憶している。   

仕上げ部門の女子従業員が、毎月、毎月2,000円、3,000円とせっせと貯めた預金を全額おろしていた。誠にわびしい気がして、たまらなかった。

 

その3に続く

 

 

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